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寿司ブームの定着と世界一有名な日本人シェフ「NOBU」の快進撃

前回、70年代から80年代にかけて寿司が日本食の代名詞としてアメリカ都市部で徐々に人気を博した様子を紹介しました。その後90年代に入り、寿司ブームはどのような変化を遂げたのでしょうか。

寿司は一般市民にも浸透

アメリカの都市部では90年代までに多くの日本食レストランがオープンしました。日系企業は日本から寿司職人を呼び日本的なインテリアを施した店内で寿司を提供します。すなわちそれは高価格を意味し、庶民にはまだまだ遠い存在でした。それでも寿司の人気はじわじわと広がり、それに目をつけた地元のビジネスマン達がよりカジュアルでオープンな寿司バーを次々とオープンさせます。

和楽が流れる店内で着物を着たウェイトレスが物静かに料理を運び、口数少ない職人気質の寿司職人が握る寿司屋から一転、ポップミュージックをディスコのように流しながら、派手な照明の下でフレンドリーな寿司職人が様々なパフォーマンスを繰り広げながら握る寿司バーが登場しアメリカ人を歓喜させます。

そこで出される寿司はアメリカ人に人気の創作ロールがメインでありアイデア次第で作ることが出来るので、江戸前寿司のように長年の修行がなくとも寿司シェフになれる事が出来ました。また店舗の拡大が進み、そこで働くスタッフもローカルの人々で成り立ち、また日本の食材も現地で手に入れることが出来るようになり、そして都市部で流行ったものが地方にも流れ、ものすごいスピードで「SUSHI」が一般市民に浸透していったのでした。

その頃ロンドンでは

その頃ロンドンでは
94年、日本食通のイギリス人キャロライン・ベネットによるイギリス初の回転寿司「もしもし寿司」がターミナル駅のリバプールストリートにオープンしました。価格帯も従来の日本食レストランと比べて比較的安く、何よりベルトコンベイヤーに乗せられて運ばれていく寿司を自分で取って食べるという斬新なスタイルにロンドンっ子達も夢中になり、当地の回転寿司ブームの先駆けになりました。

世界で一番有名な日本人シェフ、「NOBU」の松久信幸

世界で一番有名な日本人シェフ、「NOBU」の松久信幸
一方で、「NOBU」を始めとする新しい創作和食の高級店が世界を旋風します。松久信幸氏は日本での寿司店の修行の後ペルーやアルゼンチン、アラスカでお店をやるものの様々な挫折に見舞われます。しかし87年にロサンゼルスに「MATSUHISA」をオープンし高評価を得た後、1993年に常連客であったロバート・デ・ニーロに誘われ「NOBU」を共に立ち上げます。

鮮やかな見た目の料理にそれまで考えられなかったような組み合わせの妙、そしてモダンでスタイリッシュな店のインテリアも相まってまたたく間に店舗を増やし、四半世紀たった今世界中に40店舗近く展開しています。また折々に出版される美しい料理写真が載った、アーティスティックな装丁の「NOBU」のレシピ本に世界中の料理人が魅了されその技を学ぼうとしました。

「NOBU」に続くコンテンポラリージャパニーズ「MORIMOTO」「ZUMA」

「NOBU」に続くコンテンポラリージャパニーズ「MORIMOTO」「ZUMA」
「NOBU」の立ち上げに携わった森本正治氏は90年代の伝説的料理番組「料理の鉄人」の三代目の和の鉄人に抜擢された後、2001年に「MORIMOTO」をオープンし、独創的な創作和食で人気を博します。その後2005年から放映された料理の鉄人のアメリカ版「アイアンシェフ・アメリカ」での鉄人を務めアメリカでの知名度は揺るぎないものになります。

またドイツ人シェフ、レイナー・ベッカー氏が日本での6年の滞在の後インスピレーションを得て、2002年ロンドンにオープンした「ZUMA」は居酒屋料理を高級路線にアレンジし、NOBU同様スタイリッシュなインテリアとコンセプトでヒットさせます。現在世界で13店舗を展開し、また炉端焼きを押し出した姉妹店「ROKA」のおかげで今や「Robatayaki」という言葉が浸透しつつあります。

従来のトラディッショナルな和食を大胆にアレンジし、よりグローバルで近代的なアプローチを持つこれらの料理はコンテンポラリージャパニーズと呼ばれ、世界中で追従される新しい和食の流れとなっています。

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海外の日本食の歴史③すきやばし次郎のドキュメント映画が寿司の本物志向を加速させた
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